他力本願で生きることが実は人間らしくて自然な在り方~レイキ初級講座を受けて感じたこと③
レイキは「外気功」と言われています。
自力や自分の念を使ってエネルギーを流す「内気功」とは違って、
自然界に流れる大きなエネルギーと繋がって、それを自分の肉体を経由して流す。
だから、自力ではなく「他力本願」であると。
私は人間の生き方として、他力本願はダメな事なんだとずっと思っていました。
自分の足でしっかりと立って、自立した生き方が出来るようにならなくちゃ!!と結構プレッシャー気味に思っていたんだけど、「他力本願」と「自立する事」は、別な段階の話で
((他力本願=自立できない))という意味ではないのだと知りました。
レイキ道でいう自立とは、「安心立命」のことを指すものだけど
安心立命に行き着くまでに、まずは自力を手放し他力に任せる
ことがとても大切でありスタートラインともいえるくらい重要なんだと、このスクールの講座を受けて知ったのです。
西洋レイキを習った時にも「レイキはゆだねるもの」だと教わったけど、先生は「他力本願」という概念に否定的でした。
当時はカリスマ性のある先生の言葉に大きな影響を受けていました。
自分の力で!自立できる自分にならねば!と感じてて、当時はレイキを習っても自分の中に落ちてこなくて
「レイキって身近であるはずのものだけど…ゆだねるって何‽」と頭でも心でも理解して無かったな。
ある意味、自立自立!と頭で思いながら、精神はとても依存的だった。
アチューメントを受けたら誰でも出来るものだから、何も感じないけど流れてるんだね…
と言い聞かせて「つもりレイキ」をして、退屈で飽きて全く使わなくなりました。
でも「レイキはこんな自分になれますよ」という内容の中に
本来の自分というものが見つかりそう、、、みたいな感じがあってまた今になってレイキに辿り着いたのだと思います。
「氣」に敏感な日本人だからこその素晴らしい感性
講座では、レイキ発祥の経緯や歴史も詳しく習いました。
日本は昔から「氣」にまつわる言葉と表現がたくさんあります。
私たちも日頃当たり前すぎて気付かないくらいのレベルで口にしていました。
エネルギーって目には見えないけど、みんな昔から感じ取っていたってことを言葉が証明してる。
「元氣」「病氣」「運氣」「天氣」「陽氣」「陰氣」「勇氣」「色氣」「氣が散る」「氣がめいる」「氣を使う」「氣を配る」
「氣分が上がる、下がる」「氣持ちが良い、悪い」
目に見えないけど、感じてるもの。
「氣配を感じる」っていう時も、目では確認してなくてもエネルギーを肌で感じ取っているから、存在に気付くんだもんね\(◎o◎)/!
講座の中で、日本の素晴らしさについてお話がありました。
日本は農耕民族だから、四季があり豊かな自然に囲まれて、その恩恵を受けて生活してきた歴史があるから、昔の人は自然の恵みに感謝をして、自然と共存して生きていた。
自然の力を有り難いと思える感受性や、自然に宿る神様を感じる心が
太陽、雨、風、植物とかのエネルギーと共鳴していたのかもしれない。
だからこそ、レイキは日本で生まれたのだと。
私にも日本に生まれて、日本人としての感覚が潜在的にある。
現代の物質社会では、そんな有り難い感覚を忘れてしまってることがほとんどかもしれないけど、こういった歴史を知るだけでも
自分が日本人の魂を選んで生まれてきたことに誇りをもつきっかけになると思った。
そして、漢字ってすごい!
「言葉には魂が宿るから言霊」っていわれるけど、
漢字や言葉って、エネルギーをシンボル化(目に見える形に)したものなんだって\(◎o◎)
だから、発する言葉が現実を創りだしても不思議ではないんだ!と言葉の持つエネルギーの意味が自分なりに腑に落ちて
ますます日本てスゲーっって思いました。
自力モードを解除したらラクに幸せになってた
屋久島で4か月弱いた時、起きて外に出れば隣はすぐ港だし、磯の香りが空気の匂い。
虹によく遭遇して、同時に二本の虹がかかってた時も。
夜は満天の星空で、流れ星も何度か見れた。
心がザワザワしたら、海に行ってヨガして黄昏て貝殻拾って♪
頭に雑念が溜まってきたら、川に行って水の流れと一緒にザバーっと流して、誰もいないの確認して大空の下で歌うたう♪
ちょうど川の流れる音にかき消されていい感じだった。
もののけ姫の森(白谷雲水峡)には、何度か出かけて面白い出来事やほっこりする出会いがポロポロあった。
森の精(屋久島の観光大使的な存在)とお友達になれて、屋久島マニアな彼女の知る人ぞ知るスポットの話を聞いたり実際に連れて行ってもらった♪
山で鍋とか新鮮過ぎた!
公園という名の森を散歩してても、この世界に人間は私だけじゃないのか?と思うくらい人がいないので、自然のエネルギーがそのまんまま静かに溢れてるみたいだった。
この頃は(というか今も「解放」はテーマだけど…)
とにかく自分を許して解放したいって気持ちが強くて、「自然に還りたい」と言って私にしてはかなり思い切った行動で屋久島に行った。
きっと「自分の願いにOK」を出した時点で、心が緩み出してた時期なのかも。
屋久島では、私は車の免許ないし知ってる人もいなかったけど、 色んなところに連れて行ってもらったり、腹の底から笑ったり、明日も仕事でみんなに会えること、お客さんと話せることが楽しみで、肉体的にはキツイこともあったけど、本当に「おかげさま」で生きてた。
大自然と周りの人にかなり助けられて、ほとんど自分の力ではなく、完全にお任せ状態で過ごしてたんだと、今になって改めて思う。
不思議とシンクロニシティな出来事もいっぱい起こっていて、
「心配しなくても、きっとこうなるから大丈夫」という根拠のない自信みたいなのがあって、守られてる感覚があった。
そして、実際その通りになったり。。
あれが、今思うと「他力本願モード」だったんだな。
悩みはもちろんあったんだけど、自然のエネルギーとそのエネルギーの恩恵を受けている人たちの波動で、私自身一時的にでも自然に自力を手放せていたのかもしれない。
自分だけでは難しい課題だからこそ他力を借りて頼る
レイキは人にとって、本来とても優しい存在なのだと思うんだけど
物質社会に慣れきっている私を含む現代人には、『ゆだねる』『手放す』『自我を解放する』『思い込みを解く』とかって実は難しい課題だと感じる。
こだわりや思い込みに縛られていることに気付くことすら簡単じゃなかったりする。
私にとっては、長い時間これが出来ずにいる。
『ゆだねる』には、とことん信頼することが必要だからだ。
口で言うのは簡単だけど、心がその感覚を許すには、とことん自分と向き合ってまず自分を認めて許すことが必要になる。
だから、レイキは鍛練が必要なんだな。
と、熟練のレイキ実践者の講師の方たちが「日々の鍛錬が大切」という意味が自分の中に繋がりました。